古楽器製作家の思うこと いろいろ

昔の楽器製作家がそうであったように、様々な楽器を製作しています。そうすると、いろんな楽器の事が良く分かってきます。特にモダンギターについて考えていることを書かせていただこうと、思っています。

コメントいただいて 思うこといろいろ


ギター製作に関してのブログを始めたつもりなのですが、素晴らしいコメントを頂くたびに、
音楽についてのブログになっていくようです。

また、深い、とてもとても深いコメントや、専門的なコメントも頂いていますが、
私はこのブログを読んでくださっている多くの方が必要とされているようなブログ、
演奏に関してはプロではありませんので、音楽についても、
皆さんに知っておいていただければという、記事を書かせていただこうと思っています。
(今回の記事も演奏会のリハーサル中に書かせていただいています)

コメントを頂いて、ギターが上達(ギターに限らないのですが)するために、
必要なことで、いろんなご意見、コメントをいただきました。

そのひとつとして、確かに良い楽器を手に入れることも大切ですが、
(良い楽器の基準も難しい問題です)
体に合った、手の大きさにあった楽器を選ぶことも大切だと思います。
(自分が作っている楽器の宣伝ではありませんので)

長すぎる弦長の楽器では、無理な左手の拡張が必要となります、
そうなると、力を入れて拡げなくてはいけません、
力を入れると(必要以上の力を入れると)動きも悪くなりますし、
テンポもリズムも守ることができなくなります。

標準的な身長の男性でしたら、61センチくらいの、低音も基音がしっかりして、
音楽的な表現ができる楽器を沢山作れば、ギターを楽しむ人が増えそうだと思っているのですが、
今のところ、お弟子さんに作ってもらっています。

これは、私の設計、理論で作れば誰が作っても使える楽器が作れるということも、
証明したいという気持ちもありましたので。
(小柄の女性だと、59センチくらいかな?と思っています。)

そして、上達する早道の一つは、良い先生を探すことだと思います。

今、私が音楽に関わっていけるのも、良い先生に巡り会えたからだと思っています。
最初にギターは旋律楽器で、音楽的に間違ったことをしてはいけない、
と教えていただいた植木先生。

有名な先生ではなかったと思います。有名でなくても、良い先生はたくさんいらっしゃると思います。

良い先生とは?と聞かれそうですが、良い先生を選ぶときの基準のひとつは、
教えていただくことの、理由、説明がはっきりしている先生だと私は思っています。

一般的なレッスンを見せていただくと、(こんな仕事をしていますので,
沢山の先生のレッスンを見せていただきました)

ここをこうしなさい、ああしなさい、というレッスンで、1曲のレッスンが終わっても、
同じ程度の曲はまたレッスンを受けなければ弾けない、
もっと簡単な曲ですら、レッスンを受けないと弾けないようなレッスン。
一生その先生についていないといけなようなレッスンをよく見かけました。

でも、良い先生だと、例えば、その曲で一番大事な和音は?
必要でないというか、力を入れなくて良い箇所は?
どういう箇所が大切で、どんな弾き方をすれば良いのかなどを、時代背景、国ごと、時代ごと、
作曲家ごとによって,こう音楽を作っていくというようなことを教えてくれます。

1曲レッスンを受けると、応用の利くレッスンです。

私の尊敬するチェンバリストの三和睦子さんのレッスンがまさにそうです。
今はパリ在住ですが、長年ベルギー、ゲントで教えてられました。
(横道にそれますが、彼女から聞いたベルギーでのレッスン風景です。
日本の学生と違って、よく勉強している学生は、レッスンを受けるまでに、
ものすごく自分で勉強してからレッスンを受ける。
自分はこう弾きたい、それにはこんな根拠があって、こんな音楽を作りたい、
と持ってくるそうです。その演奏、根拠が正しければ良いのですが、
そうでない場合、根拠を持って、論破してからレッスンが始まる、というようなことを聞きました。
こんなレッスンを三和さんは長年続けてこられたのです。)

今は、パリ在住で最新の研究も彼女のもとには届きます。
それらの情報を、日本語で受けることが出来るのです。

こうしなさいというレッスンでなく、この時代の、この国の、この作曲家だったら、
こういうアプローチがある、こういう考え方もある、ということを全て理由と根拠を示して、
レッスンしてくれます。

植木先生も最初の「蝶々」から何でそうしないといけないのか、すべて理由をつけて教えてくださいました。
理由を説明してくれると、もう大人ですから理解が出来て、練習ができます。
また、次の方にレッスンすることもできます。
(出来の悪い私でも、1年ほどでギター教室で教えることができる程度までにしてくださいました)
そうでないと、その先生が習った先生の教え方をただ真似してレッスンすることになります。
そうなると、習った曲はレッスン出来るけれど、習っていない曲はレッスンできないということもよくあります。
良い先生を探しましょう。
(私も植木先生に出会うまでに、阪神間から神戸のギター教室を沢山見学させてもらいました)

それが、一生音楽を楽しめることが出来る一歩かもしれません。
それと、自分で充分に考え、勉強することでしょうか。


  1. 2014/11/09(日) 22:44:44|
  2. ギター
  3. | コメント:3
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コメント

習うことについて

とても興味深き、ご意見で僕も同感です。

良い先生を探すこと、 ほんとうにそう思います。ひとつの楽器をものにするためには、良き師、良い楽器が必要と思います。

さて、良い先生に師事した場合、その後止めることになっても、お付き合いは続くものと思います。町のギター教室に行って、半年、1年習って、飽きた、難しい、適正なし、環境が変わった、子育て、引っ越し等でやむなく止めなければならないこともあると思います。
ですが、この先生には一生の付き合いをしたい、一生付いていく、と思うような先生もいらっしゃいます。そのような良き師に学んだ場合は、たとえ退会しても、賀状のやりとり、なにかの懇親会、演奏会、飲み会等でずっとお付き合いが続くと思うわけです。

ひとつの楽器でさえ、マスターするのは大変なことだと思います。余程の才能ある人でなければ、最初から良い指導者に習う必要はあります。
楽器の演奏は、先生探しの旅ともいえます。 おかしな奏法、偏執的思想の持ち主などに習ったが最後、人生を棒にふることもあります。お金をドブに捨てることにさえなることもあります。

 僕も専門校選び、所属の先生の経歴には注意を払いました。また、そこを卒業したOBのその後の活躍、就職先などもよく調べました。むしろ、楽器選びよりも大変なことでした。
 毎日、昼間に専門校に通い、夜はアルバイトを2年行うという生活が続きましたが、学費と楽器購入費を稼ぎ、卒業時には満足のいく楽器も購入することができました。むしろ勉強している頃は、服装や楽器はそこらにあるものを使うという感じでした。周りを気にしている余裕はありませんでした。なんでも吸収してやろうとうハングリー精神しかなかった(あの頃は僕も青かったなあ・・・・)。
 今、こうして思うことは、正しい方法で、良き師に巡り合うことは、即ち、良いギターを購入することにもつながるということです。
そして、貴重な時間を無駄にすることがないというのも最も大きなことです。
  1. URL |
  2. 2014/11/10(月) 19:09:33 |
  3. 太郎 #QPAlTNfo
  4. [ 編集 ]

理想と現実の狭間で

お邪魔いたします。

最初からいい環境で学ぶというのは理想だと思います。多くの初心者、中級者にとって一流の先生、一流の楽器、学べる環境が整っているなら苦労はしません。

肝心なのは、いかに制約された条件の中で、効率的にいかに学ぶかがです。云百万もする高級舶来ギターを持って、テレビやラジオ、雑誌にも顔を出すようなメジャーな先生にお安い月謝で何年も学べるとは理想、いや幻想以外の何物でもないと思いますよ。

理想論ではなく、現実論で語りましょう。

 理想を目指すなら本職のプロになる決心をした人です。
 日常の趣味なら、アマチュアで楽しむなら、それこそ平山先生の仰るとおりの方法でよいと思います。

簡単な曲を丁寧に感動をもって聴衆に伝えられるなんて、これ最高です。

 聴衆はロックもどきの超絶技巧を聞きたいわけじゃないんです。(ああ、ゴメンナサイ、太郎さんを批判してるわけじゃないんです)。

 心に染み入るような旋律、抑揚、感動です。昨今は、クラシックギター界にもモダンミュージックもどきのフィンガーテクニックと大音量ギターが流行ってるようですが、必ず原点回帰になると思います。ここ20年以内にはもとに戻ると予想していますよ。

19世紀ギターも昔から静かなブームで、現在も根強い人気もあるようです。リュート音楽やアコースティックな響きはいつも人の心を捉える変わらぬ魅力があるものです。

 私は保守的な人間かもしれません。とにかく昔からあるものが好きなのです。いまだに聴いてるのは、バッハのフーガやブクステフーデ、ゲルヴィッヒ氏、シェッファー氏のリュート音楽、セゴビアSPなんかです。だから、トレンデイーな所は好きではないし、行こうとも思わないのです。
ひとり読書をするような静かな時間、コーナースペースが私には大事なことなのです。
  1. URL |
  2. 2014/11/11(火) 20:25:43 |
  3. luten #M/48I2Tc
  4. [ 編集 ]

理想を求めること

luten様

 決して理想論ではなく、僕の経験からの私見です。
僕は、どんな趣味でもそれなりに投資はあると考えています。先生に月謝を払って習い事をしたり、教則本を買ったり、楽器を買ったりしてるはずです。投資すなら良い結果を得たいと思うのが人情であはありませんか。

 仰るように、人それぞれで学ぶ環境が違うので、限られた中の条件ならば皆同じだと思います。その中で最高の環境、楽器、良き師匠を見つけるほうが良いと思うのです。当然ですが、その努力はその人自身です。

 それと念のために言っておきたいことがあります。
僕は、たしかにジャズ、ロック系の専攻の専門校で2年学びましたが、大音量重視の超絶技巧オンリーとか、音楽的なこととは無縁なジャンルと思われては心外です。

学校で学んだことは、音楽史、音楽理論、作曲法、アンサンブル実習、PA、DTM,ギター加工、海外アーチストとのセッション実習、音楽ビジネスマネージメント、ざっとこれらを学んでいます。もちろん、世界へ羽ばたいていった同級も大勢います。

一般のギター教室ではこれほどの内容はとても学べないし、実体験もできないでしょう。クラシックギターの勉強研鑽のために海外へ留学しても難しいと思います。僕は、クラシックギター、アコースティックギターも専攻枠外で同時に学びましたから、その違い、共通項をよく理解できました。

今こうして偉そうなことを言っていて恐縮ですが、実体験として言えるのは、プロになる、ならないは関係なく、本当に楽しみたいなら、良い師匠(一流の専門校で学ぶなど)、良い楽器を早く見つけて勉強することが、結局近道になるのです。

理想は理想でも、求めていかなければなりません。結果として理想が得られなかったとしても、その過程の努力は必ずどこかで報われると思うのです。池で溺れかけている時、アップアップしながらでも必死で声をあげ、手を上げていれば、誰かが引き上げてくれるかもしれません。しかし、諦めれば、沈んでいくだけです。

 何事も正しい方法で、良い師匠に導かれて、最高の楽器で、早くから学ぶことが、その道を究める近道だと僕は確信しております。
  1. URL |
  2. 2014/11/12(水) 20:48:09 |
  3. 太郎 #4PYv7Gxw
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プロフィール

kogakki

Author:kogakki
ヴィオラ・ダ・ガンバ、リュート、チェンバロ
と言った、古楽器を仕事として製作して
30年以上になりました。

最近はギターに興味を持っています。
最初に作った楽器は、ギターです。
昭和42年でした。 18歳の時です。

古楽器製作家 平山 照秋 

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