古楽器製作家の思うこと いろいろ

昔の楽器製作家がそうであったように、様々な楽器を製作しています。そうすると、いろんな楽器の事が良く分かってきます。特にモダンギターについて考えていることを書かせていただこうと、思っています。

名器について(ギター)

名器についていろんなコメントをいただいていますが、同じ楽器を弾かれても、
弾く人によって、感想が違うみたいに、同じような楽器を名器と認識されている方でも、
言葉の表現によって、違う楽器のイメージになったりすると思います。

ネットで知り合った方の先生ということで、ブログを読ませていただいた、ギタリストの
田中順子さんのギターに関するお考えが、演奏している立場からの名器として、確かに
そうだと思うことを、書かれていらっしゃいます。(田中順子さんのブログより、引用させていただきます)




良い楽器とは?


音が良く鳴って、音の分離が良く、反応が良くて、1弦から6弦までのバランスが良い楽器

良く鳴る=大きい音が出る  ではありません
良く鳴るとは良く通る音がすること
ピアノ(弱い音)でもホールの一番後ろまでちゃんと通る楽器
そんな楽器は不思議と自分で演奏している時はそんなに大きな音には感じない


音の分離とは、和音などを弾いた時、その構成音が全てがはっきりと聞こえる楽器
そしてそういう楽器は反応も良い
反応が良いとは演奏者が思う弱く弾きたい、強く弾きたい、かたい音で弾きたい、柔らかい音で弾きたい等の要求にすぐ反応してくれる楽器

逆に言うとミスも良くわかるし、ウルフトーン(楽器の特色でどうしても出にくい音がある)も出やすいし、安定した演奏が出来ない人には不安定な演奏になってしまう

という風に扱いが難しくなるんですね

それを一般的には「弾きにくい」と言ったりしますが、楽器の特色を日ごろの練習によって熟知していくと、それによって演奏が変化に富み立体感のある演奏になっていくのです←ちょっと難しいかしら?


あと最後に音のバランスですが、低音がしっかり芯があり(難しいな、ぼやけてないというかガツンとしているというか)音量があること、中音もしっかりしていて、高音が芯がありながらも硬すぎない木質感のある柔らかい音<で控え目な音量


ーーーーーーーーーーーーー‐ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


言葉の表現の違いはあるかもしれませんが、まさにそのとおりだと思います。(要約させていただこうとも
考えたのですが、そうするとこちらの主観も入りそうなので、そのまま引用させていただきました)

大きな音でなく、通る音と書いてられるのは、楽器作りとして共感できることです。

これは、最近のピアニストでもよく感じることですが、とにかく大きな音を(側鳴りする音)
を出して、沢山の音を出さないといけないらしく、近くて聞いていると脅迫的な、いたたまれないほどの
音量で弾いているピアニストが多いです。ヴァイオリンでのそう感じますが。

cabotinさんの御尽力で実現された、フー・ツォン先生の3年ほど前のような音は、もう生で
聞くことは出来ないということを、よく感じます。
20世紀の巨匠の演奏は聞けないですものね。

ギターはピアノほどの音量は出ないので、大音量で弾かれる心配はないのですが、
通る音を作ろうとしてられる演奏家は製作家にとって、とてもありがたいことです。

ということで、コメントをいただいている、名器の条件のようなことから。

山人さんが書かれていたことで、弾く場所によって鋭敏に音が変わること、発音が早く3弦が詰まった
音にならない、ウルフが突出しないこと、全てのポジションで明瞭に発音、和音の分離が良いこと、
倍音は極力抑えられていること、などは名器の条件というより、楽器として当たり前の事だと、
思っています。また、私が作る楽器はこれが最低条件だとして作っています。

逆にこの条件が整っていない、モダンスペインギターが沢山あるというのは事実だと思います。
有名な楽器でも、この条件を、最低限の条件を満たしていない楽器も沢山見てきました。

3弦が鳴らない、特にハイポジションが鳴らない、音がぼけている楽器。
フランスの有名な楽器でもあったのですが、何処で、誰が弾いてもほとんど音が変わらない楽器。
特定の音が、ウルフならまだ良いのですが、落ち込んで鳴らない楽器。
和音の分離が悪く、というか音に芯がないので和音を弾くと、何の和音か分からない楽器。
倍音ばかりで、特に6弦が鳴っていない。倍音で音量はあるのですが、本来の基音が出ていないので、
6弦の音が入る和音を弾くと,転回形のような和音になってしまう楽器。
結果、バランスの悪い楽器。1弦ばかりが鳴っている楽器。
でも、モダンギターはほとんどのギターがそうだと思うのですが。


でも、そのことが、私が、私の設計でギターを作るきっかけになったとも思います。
音楽的な表現が出来る楽器を作ろうと。

でも、ハカランダや、フレンチポリッシュ(一例として挙げられたのだと思いますが)は
製作家の目指すものが違えば、ハカランダでなくても、出したい、作りたい楽器に
近づくのなら、ローズでもメープルでも良いと思います。(私はそうですが)
音の輪郭がはっきりしない、基音のはっきりしない楽器を作っている人だと
ハカランダの使用は、適切かもしれません。


そして、演奏のこと、特に右手の指のスピードのことも書いていただきました。
確かにタッチの悪い演奏では、名器でも鈍器でも関係ないかもしれませんが、
程度問題ということも感じます。

反応の悪い、楽器だといくら良いタッチでも、速いスピードで弾いても苦しいものがあります。
(そんなことは、承知の上で書かれていると思うのですが)
演奏は難しい曲を弾いたり、早いぱっセージを弾くことは、プロの方のようにはいきませんが、
タッチとか音の出し方は、ある程度分かっているつもりです。
分かっていなければ、自分の作った楽器の評価は出来ませんから。
その上で、とにかく、立ち上がりの悪い、ぼけた倍音だらけの楽器では、タッチ以前のようにも
思います。


ギターではありませんが、ヴィオラ・ダ・ガンバの演奏家で、長年立ち上がりの悪い楽器を
使っていた人がいます。
私が調整してあげて、立ち上がりは良くなったのですが、それでも、不自然なくらい
音を出すときに、力が入って立ち上がりが良くないのです。
立ち上がりの悪い楽器はギターでも、演奏法まで変えるように思います。

タッチのスピードについては、チェンバロで一番感じます。
力を抜いて、速いスピードで鍵盤を弾くと、そして音が出ればすぐに
更に力を抜くと、最も良い音がします。
これはピアノでの同じように思います。

そして、これは例えにならないかもしれませんが、居合いでござを切るとき、
(と言っても、私たちの流派以外では、3日も1週間も水につけた、大根のように
柔らかいござを切っているので、よけい例えにならないかもしれません)
スピードが一番大切です。
普通硬いござを切るので、(ござを1枚巻いたもので人間の胴と同じ硬さだと言われています)
どうしても力が入ります。力が入ると、切れないのです。
指導させていただく時にも、切れなくて良いから、力を抜いてスピードだけ保って切ってもらうと、
本人がびっくりするほど、楽に簡単に切れます。
でも、切れるとさらに上手に切ろうと、力が入ってしまうのでしばらくは切れなくなると
言うことがよくありました。
分かっていても、力を抜くと言うのは難しいことです。

その点、私たちの宗家は素晴らしい方です。
一見ゆっくり刀を振っているように、見えるのですがござに当たった瞬間のスピード
はものすごく早いのです。
一度、新聞社の取材で高級なカメラで撮影をしてもらったときも、シャッタースピードを上げても
刀を捕らえきれないのです。
そして、切っている瞬間の写真を見ると、火花が出ているのです。硬いござですから。

居合いの話を出したのは、音だとイメージとかあると思うのですが、居合いでござを切ると
スピードがないと切れない、力が入ると切れない、と結果がはっきりしているので書かせていただきました。


最後に、いつも書かせていただいていますが、書かせていただいたことは、あくまで
私がそうだと思っていることを書かせていただいていますので、その点は
よろしくお願いします。









  1. 2013/04/07(日) 10:38:33|
  2. ギター
  3. | コメント:6
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コメント

早速のコメント、ありがとうございました。
 居合いの要領の例えは、納得しきりです。私も古流居合いの鍛錬をしていたことがあり、戦国時代から続く流派のもので、なぎなた、鎖鎌、剣法等の総合武術ですが、特にスピードと脱力、精神の無心の境地こそ、弦楽器における弾弦の境地に通ずるものがあります。
 剣の修行をしていますと、究極の人間のエゴ、煩悩、醜さなどが見えてきます。その凡庸な人間の持つ欲得を脱しえて、自ら二河百道の境地で己の道を歩むことこそ真実の道につながると思うのです。
 無心な精神性を保ちえた時、初めてステージで緊張するとか、右手の振るえが止まらないなどという、あがりの問題も解決できます。
 オリンピック等の世界大会において、日本の成績が振るわないのは、どうもその辺にありそうな気もしています。マスコミがどんなに囃し立てても、期待を一心に集めてプレッシャーを負うても、動じない精神性が必要です。
 世界的なコンクールでも、技術面以外に、心の鍛錬の必要性があると痛感しています。一度、3年間でもよいから、剣(それも真剣)の修行が出来れば理想だと思うのです。
 音楽とは関係のない鍛錬が、意外な方向性から効果を発揮することがよくあるものです。
 (とんだ脱線をしてしまいました。)

 いつか平山様の19世紀の延長上の名器を展示会場で試奏したいものです。
  1. URL |
  2. 2013/04/07(日) 13:02:35 |
  3. 梅郷 #-
  4. [ 編集 ]

楽器のことについて・・ また、反感をもたれそうで、躊躇うのですが・・
皆様方とはかなり違った視線をぼくは持っているようです。
さまざまな条件を考えたことはほとんどありません。もしも条件を細かくして
しかも従順な名工がいてそれを実現したら・・そりゃおそろしくつまんない世界です。
ほとんど同じギターしか存在しないわけですから。というわけでぼくはヴォルフなんて大歓迎で
ボンキュッでセクシーだな〜と感じます。
その楽器に恋するかどうか。自分にまず大切なのはこれですね。
そして・・同じくらい大切なことは「その楽器がぼくを愛してくれるかどうか」この二点だけで決めます。
もちろん製作家の平山さんに感想を言う時はエラソウに「美人で金持ちで家事もできて良い子だね」とかしたり顔でいいますが、
真実は違うでしょうね、恋そのものだと思う。
先週、偶然の事故で音の遠達につい愉快なけいけんをしましたので後進のために資料をおいておきます
笑えるかもしれません。
http://www.koube.jp/2013Mars/2013MarsNote.html
  1. URL |
  2. 2013/04/09(火) 23:06:16 |
  3. CABOTIN #ArGM.iJY
  4. [ 編集 ]

名器とは何ぞや

名器についてのコメント、考えさせられました。
 前に、バイオリンのことがありましたが、どうもギターより、気になることがあり書かせていただきます。

 日本や外国でもストラドの人気は陰りも見えませんが、このストラドを越える楽器が、「現在も現れていない」というのは真実か。これがテーマです。

 私個人の感想はNOであります。今や、「秘密」とかいうものは製作上なにもない。CTスキャン、解体、検分を通して、ニスの成分、などわからないことなど無いのではないか。あるとすれば、木材の経年変化だけであろう。これは真似できない。

 今現在を生きる演奏家に目隠しさせて、ストラド、モダンバイオリンを混合で弾き比べさせれば、間違いなく、モダンが選択されるだろうと思っています。過去にも同様の試験結果が出ています。

 日本製のプロ、アマチュアも含めれば多くの製作家がいますが、本当にすばらしい楽器を作っています。ストラドなど軽く越えているでしょう。

 しかし、なぜ、ストラドなのか、ここが問題の本質であります。確かにストラドは良い楽器だとは思います。長年かかって維持されてきた評価・信用というのは簡単には覆せない。イメージが固定化されています。(金が高い、億という単位が必要というイメージも)
 ストラドに億という金をかける人は、何の対価にべらぼうな金をかけているのでしょうか。俗にいうプレミア価値にですか。

 音楽家は、音楽を表現できることに価値を置くべきであり、先入観、プレミアに踊らされてはいけない。
 私はどうもストラドで無くてなならない、ということが全く理解できない。そこにはステイタスというものに群がる人間の煩悩しかありえないと思うのです。

 昔も今も一流とは、地位、名誉、金がある、と言われますが、音楽では、経歴(有名音楽大学卒、大家のマスタークラス修了、世界コンクール第一位)、所有楽器(億の単位のつくストラドのような楽器を持っている)で決まっています。

 最後に、こういう価値観ってどこか悲しい。音楽をするということはそういうことではないと思います。古きよき時代の音楽をする人間から見れば、つまらんことです。
 今の世の中に正統な評価なんてありはしない。


  1. URL |
  2. 2013/04/10(水) 11:01:04 |
  3. 詩人 #-
  4. [ 編集 ]

平山様に、名器の条件を説明するなど、釈迦に説法でした。失礼をお許しください。

 私は、巷の楽器店で試奏する楽器があまりにも、条件を備えていないことへの不満の意味もあったのです。
 例にありました田中氏のようなわかっている弾き手さんもおられるのに、ギタリストと製作家のつながりが、昔ほど親密ではなくなってきているということを感じます。
 製作家にとって、演奏家のアドバイスは重要であり、その意見を反映して試行錯誤しながらコツコツ作られていくというのが希薄になってきていると思うのです。
 
 最近は、本邦の一部の製作家さんの楽器が海外の演奏家にも使用され、その品質の高さ、音質、耐久性のよさが認識されて使われていることは喜ばしいかぎりです。

 元来、日本人は模倣しながら、改善、高品質なものをまじめに作り上げるのが大変得意な民族です。日本人が基本から発明したものは、多くはないが、ひとたび、手に入れて、分解し、研究し、模倣しながら、オリジナルよりもすばらしい物を作りながら、明治以降、近代化・発展に貢献してきました。

 楽器製作でも、老舗欧州ブランドを凌駕しているものは多くあると思います。だが、なにか、もうひとつ、ひねりの効いた何かが足りないのだと思います。

 名器の条件は、頭ではわかっているが、楽器として完成した時に表れてこない。
なぜか。
 その最後に付け加えるべきスパイスがわからない。それがわかれば、日本は間違いなく、日本の聖地クレモナとなると思うのです。

 プロギタリストも製作家まかせにせず、一緒になって良いものを作り出す知恵を絞り、協力体制で楽器作りに貢献しなければならないと思います。
  1. URL |
  2. 2013/04/10(水) 16:50:18 |
  3. 山人 #-
  4. [ 編集 ]

こんにちは、深く考えさせられます。
中でも僕は、詩人様が記された御意見に特にシンパシーを感じてます。(勝手な思い込みでしたらすみません)

自分が日々のなか思うのは…
何時も新しい「今」をこそ大切に生きる、即ち音楽を奏でる/聴く/つくることのみが私(人)が為し得ることのすべてではないか?ということです。

もし、各々確かな今にとどまり、今此処に独り在る事実から乖離することなく、あらゆるものごと/時代を捉え日々を歩んでゆくという姿勢(努力)を怠るのであれば、人は己がよしどう切望しようとも…人類の(各々の)今日までの歴史をきちんと捉えることは出来ないことはままならず、また、明日という未来はおろか今日一日さえも確かに生きることはできないのだとも思うのです。

おそらく真に価値あるクラシック音楽を含めたあらゆる芸術的表現、楽器製作、思想 etc…はみな【そこ】=根幹への厳しい自覚(己への真摯な問いかけ)その哲学の裏打ちが貫かれてあるが故に、例えその 'かたち'が喪われようとも… '今'も決して色褪せることなくこの絶望の闇においてさえもなおより強い光を放ち続けて人々の心の深くに響いてくるものだと思うのです。
永遠は一瞬のなかにある。
そして例えば、宮澤賢治は「まことのことば」という永遠を100年以上の昔、此処に著したのだと思います。

もうレディキュラス!としか言い様がない何千万?何十億?!の楽器に纏わる馬鹿げたお話は、投資家たちの穴があいた空虚な心を虚栄で充たす為の経済ゲームなんでしょうね…戦争とかわらぬ。
そこには純粋な音楽の欠片すら最早ないと僕は感じます。

真に大切なこと/ものごとの本質とは何か?を日々自己のうちに捜すことを忘却/放棄しておいてもなお、何かあたかも人間にとっての確かな日々の生活や創作活動や耀かしい未来や希望を我々はこの手で獲得できうる者であるかのような錯覚(傲慢)にこそ、世の諸問題及びこの時代のすべての重く暗い混迷の根が深くふかく潜んでいるのだろうと感じます。

それは先ず何時も僕自身の在り方として。

どうも有難うございました。


  1. URL |
  2. 2013/04/11(木) 08:23:22 |
  3. 原敬 #22hNL7Yc
  4. [ 編集 ]

原敬 様、ありがとうございます。

 含蓄のあるご意見です。

 人間というものは、どこか確かな拠り所に安住することによって安心するという動物です。
 物を所有するにしても、人より高価な物を、隣の人よりいい車を、お向かいの子供さんより内の子供は有名進学校に通っている、主人は一部上場企業や中央官庁に勤務、、、、、、、、、、などなどきりがありません。

 私は、特にストラドが最も良い例だと思っていたので、引き合いに出しましたが、値段は下がりますが、ギターでも同様なことがいえます。

 先日も某楽器店に行った時、ギターケースを持った紳士(50才代後半くらいか)が、店主と談笑していて、その話を聞いていてびっくりしたが、ハウザー、ブーシェ、フレタなど、かなり「名器」 を所有しているとかで、なんでも買取の相談らしかった。
 国産乗用車なら10台は買える額である。普通のアマチュアでさえ、そのような状態である。私は、人の趣味や楽しみにケチをつけたり、やっかみで言っているわけではないが、日本人の舶来高級志向、舶来ブランド志向にほとほと嫌になるわけである。
 (本当に質をわかって買ってるのかな? 常々、思います)

 プロバイオリン奏者もそうだが、国産品で確かなものは、多くあるわけだし、目からウロコを落として、物の本質を見抜く目を持ってもらいたいと願う。

 欲を言えば、楽器に限らず、全ての物の本質、価値を見抜く確かな目を、自分も含めて養いたいと思っています。
  1. URL |
  2. 2013/04/11(木) 15:55:01 |
  3. 詩人 #-
  4. [ 編集 ]

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プロフィール

kogakki

Author:kogakki
ヴィオラ・ダ・ガンバ、リュート、チェンバロ
と言った、古楽器を仕事として製作して
30年以上になりました。

最近はギターに興味を持っています。
最初に作った楽器は、ギターです。
昭和42年でした。 18歳の時です。

古楽器製作家 平山 照秋 

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